懐かしい無線機
FT-101ES

昭和52年、開局時に使用した無線機です。アンテナは旭精鋼のECHO-8Gとダイポールを使用しました。国内外のQSOに使用しました。オープンしていない21MHzでは、呉、広島、岩国周辺の若者と夜な夜なラグチューを楽しみました。購入したのは、第一産業(DEODEO→EDION)です。EDIONは、現在、アマチュア無線機器は取り扱っていないようですが、当時、広島市内には、アマチュア無線機器を取り扱う店が、第一産業の他に、銀山町、天満町にあったと思います。
FRG-7

昭和55年頃、日本短波放送(現ラジオ日経)の「大学受験講座」と「百万人の英語」を聞くために購入しました。BCLラジオ(ナショナルRF1180)とは比較にならないほど安定した受信ができました。購入したのは、秋葉原の「トヨムラ」の通販で格安でした。後日、ヤエスのサービスセンターに修理に出したとき、エンジニアが保証書の販売店印を見て「秋葉原のトヨムラさんで、買われたんですね」と言われたのが印象に残っています。やはり、「秋葉原」、「トヨムラ」はこの世界で一目置かれているのだなと感じた瞬間でした。秋葉原が身近な存在になるのはこれから数年後でした。
FT-690

昭和56年12月、帰省の際、秋葉原の「ロケット」で購入しました。寝台特急「あさかぜ」に乗車するまでの間、東京駅丸の内の広い待合室で取扱説明書を熟読しました。冬休みの終了と共に無線機も上京し、1エリアでの無線生活のよき相棒となりました。
FT-101ZD


進学先決定後に、喜び勇んで購入した無線機です。デジタル表示は新鮮でしたが、その他の機能・性能ではFT-101ESとそんなに差はないと感じました。ただ、進学先には持っていけませんでしたので、夏休み、冬休み等、帰省した際に、使い倒しました。
TS-711

金銭的に余裕ができたので購入しました。2mを運用することは何か大人の世界に足を踏み入れたという妙な感覚がありました。しかしながら、2m独特の流儀というかしきたりのようなものは、HF主体で運用してきた私には、違和感があり余り馴染めませんでした。
IC-750A

山形、横須賀で使用した無線機です。受信部がゼネラルカバレージ、送信部もオールソリッドステート、CW送信もフルブレークインと旧来の無線機とは一線を画すもので感動的でした。狭いアパートに転居後は、短波受信機として活躍しました。
FTDX-401

平成元年に、職場の同僚から譲ってもらったものです。実家に持ち帰り一度だけ通電した後、長らく倉庫に保管していました。使う予定もないことから、中古品買い取り業者に引き取ってもらいましたが、それなりの値がついたのには驚きました。
HW-9

キットを組み立てました。完成後の調整には職場のSG、スペアナ、オシロスコープ等をこっそり使わせていただきました。
NRD-525

当時、日本無線はHFのプロ用受信機としてNRD-91、NRD-92等を販売しており、天下のJRC製ということで購入しました。当時は、狭い木造アパートに住んでおり、室内にロングワイヤーアンテナを展張しました。放送は何とかなりましたが、アマチュア無線の受信は非常に厳しいものがありました。晩年は、メモリーに、日本放送、文化放送、NHK等をインプットし、妻の中波放送専用受信機となりました。
IC-375

当時、流行のパケット通信を運用するために購入しました。教科書でその原理を読んだことのある、ACK、NACKのARQの伝送制御の状態を、パケットキャプチャすることなく実感でき、データ通信のイロハを理解することができました。旭川に転勤後は、IC-R7000と共に車載しましたが、道北の430MHz帯は閑散としており、数局とQSOしただけでした。
IC-R7000

メーカーの受信周波数の自主規制が始まるとの噂を聞きつけて急ぎ購入した受信機です。V/UHFの各種業務無線の受信に活躍しました。IC-R8500の購入でお役ご免になりました。
FT-847M

HFから430MHzまでをカバーするのは当時は画期的だったと思います。オプションのCWフィルタも装着しましたが、HFでは全く使わず、VHF、UHF専用でした。
NRD-545

DSPという新しい技術に触れてみたいということで購入しました。基本的な受信性能は、NRD-525と大差ないと思いました。V/UHFコンバータも搭載しましたが、V/UHFの受信能力は今一でした。IC-756PROV、AR-5000Aの購入で第一線を退きました。
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